The Akita Chronicle (旧 後ろ向きに前へ)

興味のあることなんでも書こうかなと思います。方向性が決まり次第、一本化します。いやするかも。

1915年8月23日付秋田魁新報 秋田中学 全国高校優勝野球大会準優勝の軌跡 当時の記事書き起こし

大正四年八月二十三日

 

早稲田對秋田

■彌次團長は洋服紳士

■物凄い応援歌の後援

 

二十日午後二時鋭敏隼の如き早稲田軍に對し底力の知れぬ秋田軍か共に大阪豊中グラウントに立った。

 ▼秋田軍の應援歌 「打たば勝つ秋田の歴史、昇る日の光は充ちぬ、何事ぞ身の程知らで、咄!我に射向ふ彼等……」と物凄い應援歌を後援にして先攻早稲田の打撃を封ぜんものと秋田健児がシートに着いた時兩軍の敵愾心は頂點に達した、さあ斯うなると各彌次團も一通や二通の應援では氣が済まぬと見え試合が進むに従つて「打者が悪い、昼飯を食はせてやれ」だの「秋田のドン百姓!」と罵れば「江戸子のヘナヘナ」ろ嘲り返す尚ほそれでも倦足らぬか「大隈伯が何だ!」と早稲田の親分までを悪口するその秋田方の彌次團長は白い洋服の上着を脱ぎ鼠色のヘルメットをギッチリ手拭でふん縛つた髯の紳士、又早稲田の彌次大将は黒の洋袴に赤シヤツを着け、麦藁帽子を横ちよに冠つた書生さんだ

 ▼秋中先つ一點 早稲田先づ打つて長崎の速球興(くみ)し易しとばかり走者三塁二塁を踏んだが後援意の如く続かず二死となる岡田投手のモーションを盗んで本塁に突入し惜しい所で殺された併し敵をして一時ヒヤツとさせたのは痛快だつた、秋田攻勢を取り渡邊、長崎の二者臼井の怪腕に弄殺されたが鈴木中堅安全球に出た時臼井が牽制球を不用意n一塁手に投げて災禍の種を蒔き小山田の投手ゴロを臼井又もや一塁に悪送球したので手軽に最初の一點を興(あた)へて了つた

 ▼早軍萬事休す 斯して白熱的の緊張は両軍の攻守の裡に益益度を加へて早軍六回の表に石崎四球に出でて入塁すれば秋田亦三回八回に各一點を入れて勝敗の分水嶺を馳せ越え愈々最後の攻撃を物の數かは發矢發矢と受け止めて見る見る敵を葬り去つた腕並は懸軍萬里の出戦に堅き自信を抱き立ちし矢留城の男子の気概を思ふがままに發露し得たというべく早稲田方も有数のバッテリーと訓練されたる技能を持ち乍ら見す見す榮冠を東北健児の頭上に加へしめたのは遣瀬無き憾であろう

 ▼両軍に對する概評 大阪朝日の為せる概評左の如し

両軍の技術攻守共に卓越し中等学校チームとしては眞に稀有の強チームなる上兩者の勢力相伯仲し今次の大會中第一の好試合と云ふを妨げず而して試合前に於ける第三者の興味は早軍のバッテリーの強味に對する秋田の打撃力が如何なる程度まで威力を発發揮し又秋田の投手長崎の重味ある速球に對し早軍の打者が幾千のヒットを飛ばし得るかの二點に集注居りしが如し

△果して試合は活氣に充ち實に緊張せる好ゲームなりしが早軍は初め稍稍敵を侮りてかかり却つて一點を敵に先んぜられてよりは又少しく焦處り気味にて累累失策をなし敵に好機を興へ惹ひて全軍の敗因を招来するに至りたり

△秋田の𢐅点投手の四球と二塁手斎藤の失策とにてそれが爲〓次危機に陥り大に苦戦しも早軍の失策はそれ以上にて殊にタイムリー、エラー多く遂に此の敗戦を見るに至りりしものなるが、就中秋田の一塁手信太が毎回よく守り絶えて失策無かりしに反し早軍の平田一塁手は稍稍緊り方足らず、又早軍の遊撃石井は餘りに明敏に過ぎて却って失策を續出せし傾きあり

△例へば第六回目に一死の時二塁に居りながら功を急りて三塁に犬死し後打者中澤の好打と敵遊撃手の失策あるも尚點を入るるの機會無きに至らしめし事及び第三回目に敵の走者を謀らんとして三塁に暴投し却って敵に一點を得せしめし事等明敏に失して反對に過を多からしめたるに愼む可し

△投手の技量(旧字体)は策謀多き臼井の怪腕に對し火の如き長崎の熱球よく匹敵して殆とど優劣を見ざりしが両軍共に打撃力旺盛なる爲め單に投手の腕一本に敵軍の打撃を封じ以て勝を制するの策に出づる能はず繰り返し云ふ如く秋田は唯敵のタイムリー、エラー多かりしだけの相違にて最近全国を震駭せしめし強敵早稲田實業を撃破し最も光榮ある勝利を得たるものの如し

 

1915年8月24日付書き起こし記事はこちら↓

 

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