ただのぶろぐ

きままに

1915年8月25日付秋田魁新報 秋田中学 全国高校優勝野球大会準優勝の軌跡 当時の記事書き起こし

大正四年八月二十五日

 

◎在大阪懸人の野球應援

■新たに応援歌を作り

■歓迎旗二旒を贈る

大阪に於て開始されたる全国野球大試合に東北を代表して出場し早稲田實業山田中學の二校を敗りたる我が秋田中學に對し在大阪県人会及び奥羽會は猛烈なる援を與へられたるは二十三日本紙既報の如くなるが縣人会の応援團長は誰れ?灰色ヘルメット帽の刈和野町出身今野謙吉氏にて秋中の爲めに新に左の如き應援歌を作り印刷に附して配布せるのみか特に秋田會より羅紗製巾三尺長さ三間半の三稜星型歓迎旗を奥羽會よりは同巾二尺長さ二間の鉾旒形後援旗を贈りたりと今野団長の消息の一端に「身体はヘナヘナになり随分東京でも彌次をやつたが今回のやうに猛烈にやつたことはない……秋中生を引率各名勝等を案内してやつたが手も顔も眞黒ケノケになりピリピリと痛みを覚え聲は少しも出なくなり糖水を呑むやらうがひをするやらの眞最中……」とあるのを見ても如何に県人会が応援の痛快を極めたるかを推知すべし

打って打って打ちまくり、東北男子の腕前を

天下に示すは此の時なるぞ、奮へ奮へよ秋田軍

猛き味方の勢ひが、向かう處に敵はなし

勝利はすでに我れ手に歸せり、奮へ奮へよ秋田軍

フレーフレーフレー ヤードーメ

守れ守れ堅実に、誠心誠意の後援は

我日の本に比ひ無き、在阪秋田県人会奥羽會も団結し、天下に模範を轟かす

守れ秋田の強者共よ、輝く光を世に示せ

フレーフレーフレー 

 

◎残念!(二對一にて秋中負けた)

幸先よくも関西の覇たる山田中學を美事に負かし再び早稲田實業に打勝つて意氣軒昂の秋中野球部隊は優勝仕合最後の決戦たる京都第二中學との試合は残念ながら二對一にて敗をとりたるが返す返すも遺憾の極み〓

 

1915年8月26日付書き起こし記事はこちら↓

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