ただのぶろぐ

きままに

1915年8月26日付秋田魁新報 秋田中学 全国高校優勝野球大会準優勝の軌跡 当時の記事書き起こし

大正四年八月二十六日

 

◎秋中野球團の健氣な振舞 敗けても京都軍の萬歳を唱へて別る

大阪朝日新聞主催にかかる全国優勝野球大会に東北を代表して出場せる我秋田中學の選手は既報の如く斯界に関西の覇を唱えつつある山田中學を敗り又老練なる早稲田實業に打勝つたるに拘はらず最後の決戦日にあたりて脆くも京都中學の爲めに敗をとりたるは昨報の如く假令連戦の爲め疲勞せしとは云へ返す返す残念にたまらぬ處なり、然りど雖も亦我選手のよく奮闘して東北を代表して耻ぢざる秋田野球團の存在を天下に知らしめたるの効果は決して没すべからざるものたり、撒くる亦榮……

更に更に相戒めて腕を錬えて他日により偉大なる戦勝を期せざるべからず、さるにても當日我野球團の不幸敗北するや京都軍は口を極めて「フレフレまけ田」と罵り喚めきたるに反して毫も不遜の態度をとらず而かもグランドを退却するに臨み敵の京都軍を祝福して「京都軍萬歳!」を唱和したる雄々しくも優しき心根は實に嘉みすべく、戦ひにこそ敗れたれ十三回の奮闘に唯一點の差!誰れか是れを光榮ある敗北でないと云ふ者やある。而して我選手本日を以て歸着の筈なるが主催大阪朝日新聞社は最後まで努力健闘せるを賞賛し特に選手一同に英和辞林十一冊を贈られたりと左にどうしの決勝短評を紹介すべし

 

要するに此の日の勝負は順當の勝負にしてあれ迄に試合を延長せしめしは寧ろ秋田の善戦せるものと云ふ可し▲總體の上より見る時は秋田は捕手を除く外守備に於て二中に優りしも打撃に於てはそれ以上に劣りし爲め此の敗戦を見るに至りしものなるが概して両軍とも打撃の際焦慮り君あり殊に九回以後に於いては一層焦燥してバンドを利用する事を忘れ見す見す好機を逸し去りたり